雑司が谷の富士の湯の思い出

豊島区の池袋近く、鬼子母神や東京音大の近くに富士の湯という銭湯があった。

池袋にいた頃は、風呂なしのアパートに住んでいたので、ほぼ毎晩、お世話になった。夜中の1:00までやっていたので、帰りが遅い日でも安心して通えた。

そして、そこのおばさんの対応が、本当に気持ちが良かった。

まだ銭湯に行き慣れていなかったあの頃、杉蔵がやらかした女湯突入未遂事件(わざとじゃない・・・)を落ち着いて対応してくれたことがあったり、財布を忘れた時、「明日一緒に払ってくれればいいよ」と、そのまま入れてくれたり・・・

昼間、会社に行く途中に道端でバッタリおばさんに会うこともあったり・・・もう、生活の一部になっていた。

去年の秋ごろ、その富士の湯に貼り紙が出された。
「当分の間、休業させていただきます。」
おばさんに聞いてみると、どうやら、親父さんの体調があまり思わしくないということらしい。

休業前の最後の日、偶然にも最後の客になった杉蔵は、名残惜しくて、なかなか外に出なかった。そんな杉蔵に、おばさんは「良かったらこれをどうぞ」と、タオルの入った包みをくれた。
ちょっとイヤな予感がした。

それからしばらくして、山梨に転勤が決まった。

別に池袋に彼女がいたわけではないが・・・
でも、池袋から離れるのには、ちょっと迷いがあった。
その迷いの理由の一つには、せめて富士の湯の営業再開を見届けてから山梨に行きたいというのもあったかも知れない。

山梨から東京に戻った後、一度だけ富士の湯を見に行ったことがある。
まだ、シャッターは閉まったままだった。

いろいろと悩んで春から転職を決め、忙しい毎日を送る中、しばらく富士の湯のことは忘れ気味だった。が、この間、富士の湯がついに廃業してしまったことを知った。

これも時代の流れなのか・・・
もう、中年オヤジと呼ばれる年齢も近い・・・

この話にオチはありません。あしからず・・・。

この投稿へのコメントの RSS フィード。 TrackBack URI

Leave a Reply